章1.男装の少女から海賊へ:メアリ・リードの幼少期と軍歴
こんにちは、海賊ファンの皆さん!今日は、有名な女海賊の一人、メアリ・リードの物語をお届けします。彼女はどのようにして海賊になったのでしょうか?彼女の幼少期と軍歴について、詳しく見ていきましょう!
メアリ・リードの母親は、船乗りと結婚して息子を産みましたが、夫は航海に出たまま帰ってきませんでした。夫が死んだのか生きているのかも分からないまま、母親は別の男性と関係を持ち、メアリを妊娠しました。しかし、夫の家族に不義を知られることを恐れて、ロンドンから逃げ出しました。田舎の友人の家で暮らすと言って、息子を連れて出発したのです。
田舎での生活は大変でした。息子は病気で亡くなり、母親は貧しくなりました。そこで、母親は夫の母親に助けを求めることにしました。でも、夫の母親は夫が死んだこともメアリが生まれたことも知りませんでした。だから、母親はメアリを男の子に見せかけて、夫の息子だと嘘をついたのです。夫の母親はだまされて、メアリ(マークと名付けられた)にお金を送ってくれました。
メアリは夫の母親に育てられましたが、13歳の時にその祖母が亡くなりました。その後、裕福なフランス人貴婦人に仕えることになりました。その貴婦人はメアリを気に入って、勉強や礼儀作法を教えてくれました。でも、メアリはずっと男装していました。女性らしい服や生活に慣れることができませんでした。やがて軍艦で働く機会を得て、男性社会で自分の力を発揮することになります。
メアリは13歳のころから男装したままイギリス陸軍に入隊し、スペイン継承戦争に従軍しました。この戦争は、スペイン王位の継承者をめぐってフランスとオーストリアが対立し、イギリスやオランダなどが介入した大規模な戦争でした。イギリス陸軍は、主にヨーロッパ大陸での陸戦に参加しましたが、海外の植民地でも戦闘がありました。
メアリ・リードは、イギリス陸軍とイギリス軍の騎兵連隊での素晴らしい活躍が目を見張るものでした。彼女は陸軍では男装し、勇気と決断力で戦闘に挑みました。彼女は一度も傷つくことなく敵に捕まることもなく、多くの仲間からの尊敬を勝ち取りました。また、騎兵連隊では同様に男装して騎士として参加し、驚異的な馬術の技術を披露し、剣や銃の扱いも見事でした。数々の戦闘での勝利に大きく貢献し、上級軍人からの信頼も絶大でした。彼女はどちらの組織でも男性として活躍しました。自身の正体を隠したまま、勇敢な戦士として戦ったのです。
さらに、彼女はオランダの軍人と恋に落ち、幸せな結婚を果たしました。ふたりはフランドルのブレダに移住し、駐屯地の近くで宿屋を経営しました。しかし、夫が病に倒れて亡くなり、再び彼女は男装して軍務に復帰する道を選びました。
メアリ・リードの伝記、英語の海賊 (greelane.com)
2.海賊の仲間入り:メアリ・リードとアン・ボニーの出会い
メアリが乗った船は、西インド諸島に向かう商船でした。しかし、途中で海賊の襲撃を受けました。海賊は船を略奪し、乗組員や乗客を捕虜にしました。メアリは男装していたので、海賊たちは彼女を男性と思い込みました。メアリは海賊たちの仲間になることを選びました。彼女は海賊の生活に魅力を感じました。彼女は自由と冒険を求めていたのです。
海賊たちはメアリを連れて、ニュープロビデンス島ナッソーに行きました。ナッソーは当時、海賊の本拠地として知られていました。ナッソーでは、多くの海賊が暮らしていました。彼らはイギリス政府からの恩赦を受けていましたが、それでも海賊行為を続けていました。メアリもナッソーで海賊として振舞いました。彼女は他の海賊たちと交流し、戦闘や略奪に参加しました。
しかし、1720年になると、ナッソーの情勢は変わりました。イギリス政府はウッズ・ロジャーズをナッソーの総督に任命しました。ロジャーズは厳格な人物で、海賊たちを徹底的に取り締まることを宣言しました。ロジャーズはナッソーに到着すると、海賊たちに再び恩赦を受けるか、あるいは私掠船に乗り組んでスペインと戦うかの選択肢を与えました。私掠船とは、政府から正式な許可を得て敵国の船を攻撃する船のことです。
メアリはロジャーズの提案に従って、私掠船に乗り込みました。しかし、彼女は本心では私掠船に乗ることを嫌っていました。彼女は私掠船の船長や乗組員が気に入りませんでした。彼らは無能で卑劣だったからです。
彼らは敵国の船だけでなく、友好国の船や無害な商船も襲っていました。彼らは無抵抗の人々を殺したり、虐待したりしていました。彼らは海賊よりも悪質だったのです。
メアリは他の私掠船の乗組員と共謀して反乱を起こしました。彼らは私掠船から逃げ出して、別の海賊船に乗り換えました。
その海賊船がジャック・ラカムの船でした。ラカムはカリコ・ジャックと呼ばれる有名な海賊でした。ラカムの船にはアン・ボニーという女性もいました。アン・ボニーはラカムの恋人で、海賊として戦闘に参加していました。メアリはアン・ボニーと知り合い、彼女が女性であることを見抜きました。メアリも自分が女性であることをアン・ボニーに打ち明けました。二人はすぐに親友になりました。
ラカムの船は、ウィリアム号という名前でした。ウィリアム号は、12門の大砲を備えた小型のスループ船でした。ラカムはこの船を私掠船から奪って海賊船に改造したのです。
メアリはラカム達と共に、カリブ海やジャマイカ沖で多くの海賊行為をしました。彼らは商船や漁船を襲って、金や財宝や物資を奪いました。彼らは敵対的な船員や乗客を殺したり、捕虜にしたりしました。彼らは自分たちの旗を掲げて、恐怖を振りまきました。ラカムの旗は、白い頭蓋骨と交差した刀が描かれた黒い旗でした。これはジョリー・ロジャーと呼ばれる海賊旗の一種でした。
メアリは海賊としての暮らしを楽しみました。彼女は自由と冒険を求めていました。彼女は男性社会で生き抜いた強く勇敢な女性でした。彼女は戦闘では勇敢に戦い、休息では仲間と酒を飲んだり歌ったりしました。彼女はアン・ボニーと親友になりました。彼女はアン・ボニーがラカムの恋人であることを尊重しました。彼女はラカムにも敬意を払いました。彼女はラカムの部下として忠実に働きました。
メアリには海賊船に恋人がいました。ある時、その恋人がほかの海賊と決闘することになった。彼女は相手の男が恋人よりも手強いことを危惧したが、決闘をやめさせて恋人が臆病者の烙印を押されることもまた忍びなかった。そこで彼女は相手の男に自ら喧嘩をふっかけ、恋人よりも2時間早く決闘することを約束した。メアリは決闘で相手の急所を一突きにして殺してしまい、結果として恋人は難を逃れたのでした。
3.海賊としての最後の戦い:メアリ・リードとアン・ボニーの逮捕と裁判
1720年10月のある夜、ジャマイカ総督の命を受けたジョナサン・バーネット船長は、海賊王ラカムの船を発見しました。ラカムの船はナビゲーター湾に停泊しており、ラカムや仲間たちは酒に酔って歌っていました。バーネットはこの好機を逃さず、暗闇に紛れてラカムの船に忍び寄りました。そして、突然砲撃を開始しました。
ラカムは驚いて反撃しようとしましたが、火薬が足りなくて砲が打てませんでした。酒に酔っていたせいもあり、ラカムや他の男たちは戦闘を放棄して船倉に逃げ込んでしまいました。しかし、甲板に残った二人の女性海賊、メアリ・リードとアン・ボニーは違いました。彼女たちは男装して剣と銃を手にして、バーネットの船に向かって勇敢に戦いました。彼女たちは仲間の男たちを罵倒しながら、自分たちだけで敵を迎え撃ちました。
メアリー・リードは「戦え!戦え!さもなくば私たちは死ぬ!」と叫びました。アン・ボニーは「あなたたちのような卑怯者と一緒に死ぬくらいなら、一人で戦って死んだ方がましだ!」と言ってラカムを罵りました。
女性海賊であるメアリー・リードとアン・ボニーは、仲間たちが降伏した中でも最後まで戦い続けました。彼女たちは敵の砲火にもひるまず、自分たちの信念と自由を守ろうとしました。彼女たちの声は、歴史に残る海賊伝説の一部となりました。
バーネットはメアリとアンの勇気に感動しながらも、容赦なく彼女たちを狙いましたが、なかなか撃ち落とせませんでした。メアリはバーネットの船に飛び移ろうとしましたが、アンに止められました。やがて、バーネットはラカムの船に乗り込むと、船倉に隠れていた男たちを一人ずつ引きずり出して縛り上げました。
彼はラカムを見つけると、彼の顔面を殴りつけて気絶させました。そして、メアリとアンの姿を探しました。彼は彼女たちが男装していることに気づいていなかったので、甲板にいる男たちの中から彼女たちを見分けることができませんでした。
しかし、彼は一人の男が剣を振り回して抵抗しているのを見て、それがメアリだと確信しました。彼はメアリに近づいて剣を奪おうとしましたが、メアリは激しく応戦しました。彼女はバーネットの剣を受け止めて、彼の腕に傷をつけました。バーネットは痛みに悲鳴を上げながらも、メアリの髪の毛を掴んで引っ張りました。すると、メアリのかつらが取れてしまいました。バーネットはメアリが女だということに驚きましたが、すぐに冷静さを取り戻しました。彼はメアリの首にロープを巻きつけて縛り上げました。
そして、アンの姿を見つけました。アンは銃を持っていましたが、弾切れになっていました。彼女はバーネットに向かって銃を投げつけましたが、外れました。バーネットはアンに走り寄って彼女を抱え上げました。アンはバーネットの顔に爪を立てようとしましたが、バーネットはそれを避けました。彼はアンも女だと気づきましたが、それを気にする様子はありませんでした。彼はアンもロープで縛り上げて、メアリの隣に置きました。
バーネットはメアリとアンを見下ろしながら笑みを浮かべました。彼は彼女たちの勇敢さや美しさに惹かれていましたが、それ以上に彼女たちを処刑することに興奮していました。
4. 獄中での死:メアリ・リードの最期
一味は有罪となってラカムたちは絞首刑に処されましたが、メアリとアンは妊娠を主張したために刑が延期されました。しかし、メアリは獄中で熱病にかかり、1721年4月28日に死亡しました。彼女の墓はジャマイカのセントキャサリン教会にあると言われています。
メアリとアンは海賊としての生き方を貫いた二人でしたが、その最後は悲惨なものでした。ラカムたちは裁判で無慈悲な扱いを受け、11月18日にポートロイヤルで絞首刑にされました。彼らの死体は鉄のケージに入れられて海岸沿いに晒されました。
メアリとアンはその光景を目にすることなく、獄中で苦しみました。メアリは熱病で命を落とし、アンはその後の消息が不明です。メアリの墓石には「M. R. 1721」とだけ刻まれていると言われています。
しかし、メアリ・リードの物語は忘れられることはありません。彼女は男装して戦った勇敢な女性海賊として、歴史や文学に名を残しました。彼女は自分の選択や行動に責任を持ち、恐れることなく生きた女性です。彼女は私たちに勇気や自由や冒険を教えてくれます。
おわりに
メアリ・リードは海賊としての短い人生を全力で生きた女性でした。彼女は男装して戦場や海で活躍し、アン・ボニーという親友を得ました。彼女の物語は今でも多くの人々に感動や刺激を与えています。メアリ・リードの冒険に興味がある方は、彼女に関する本や映画をぜひチェックしてみてください。それでは、今日はこの辺で失礼します。ありがとうございました!
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